隣人に仕える

他者に「仕えること」によって、それを行った人もイエスの愛を知ることができるということを改めて経験しました。

アウトリーチ・プログラムに参加した時には、仕えることで仲間達の心が変えられていく姿をみました。また、仕える彼らを通してストリートには共に喜ぶ世界がもたらされていました。

ストリート生活者に会いに行く道中のバスの中

また、貧しくても自分の持ち物を与え続けてきた、団体や個人の姿がありました。

聖書には、貧しいやもめが生活費の全部を献金箱に投げ入れる「受けるよりも与える方が幸いである」生き方について述べられています。「与える」という行為は自分もまた鳥や花と同じように、神の憐れみによって生きているということを思い出させます。「与える」という行為は神を信頼して生きるということを形であらわす方法の一つだと思うのです。

また、「弱いものを助ける」ことは、労苦や自己犠牲をともないますが、イエスを信じて生きる者にこそ与えられた恵みの生き方だと思います。私はどんな十字架を背負い、誰のために生きるべきなのか、命の捧げるかをずっと考えてきました。イエス様は私たちの罪を背負って下さって新しい命を与えられました。与えられた私たちも労苦を伴い主にお仕えする=目の前の弱い立場の人に手を差し伸べる、生き方を選びたいです。

聖書にはこのように書かれています。

【誰でもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そして私についてきなさい。自分の命を救おうとする者はそれを失い、私のために自分の命を失うものはそれを救うのです。(ルカ9:23-24)】

労を惜しまず弱者を助けること、持っているものをさしだし、受けるよりも与える生き方を選び取ることについては、以下の箇所からより深く教えられました。

【あなた方自身が知っているどおり、この両手は私の必要のためにも、私と共にいる人のためにも、働いてきました。このように労苦して弱いものを助けなければならないこと、また主イエスご自身が「受けるよりも与える方が幸いである」と言われたみことばを思い出すべきことを私は、万事につけ、あなたがたに示してきたのです。(使徒20:34-35)

みなは、有り余る中から投げ入れたのに、この女は乏しい中からあるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。(マルコ)】

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