13.わたしたちは国を越えて互いに学び合う。

過酷なストリート生活をしている人たちが、安心して心と体を休められる場所が与えられること、自分の人生背景や悩みを聞いて人生を一緒に考えてくれる、手を差し伸べようとしてくれる人の存在がいること、そういう人がいてくれていることを知ることが、いかに励みになり希望であり、大切かを知りました。将来への不安を完全に拭い去ることはできなくとも、彼らは仲間たちと、悩みや情報を共有し、祈り合い励まし合いながら、今を楽しく過ごしていました。

自分を受け止め手を差し伸べてくれる場所があること、体を洗ったり新しい衣服が与えられたり、きれいに身なりを整えられることにより、劣等感の一部を払拭することができるのだと思います。自信を得て、前に踏み出そうとする力を沸き起こさせるのではないかと思います。誰でも汚い姿の自分を人に見せたくはないでしょう。きれいな服に着替えた後の彼らは、積極的にコミュニケーションしているように見えました。

自立支援プログラムに通う人々、シェルターハウスの子供たち、スタッフ

シェルター暮らしをしている子供たちと、彼らの母親のような存在であるキッチンスタッフ達が互いに関わり合う姿から、子供たちにとって「家族」の存在はやはりとても大切だと教えられました。自分の周りにいる人たちを敬い大切にしている姿、周りから影響を受けたり与たりしながら成長していく彼を通して人は、人と関わり合い、家族と交わることで生かされ、生きていくために必要な多くを学び、人生の中心に他者の存在を据えながら自分の存在や生きる本来の目的を知り、自分の道を見つけ出していくのだと思いました。

エチオピアは、コーヒーを煎れれば周りの人みんなに声を掛ける、食事をしていれば知らない人でも「一緒に食べよう」と聞くなど、1人で楽しまないことが当たり前の社会です。友人の一人に、利便性が進み何でも一人で出来るようになってしまった日本社会では、アパートなどで誰が隣に住んでいるのか知らない、安全性の問題からも教えないで暮らしている人が大勢いるという話をしたことがあります。それに対し、エチオピアはとても不自由だから自分たちは助けてもらわなければ生きていくことができないのだと話していました。人は一人では生きているのではないことを知って他者に対して謙遜になる事で、人間関係はより豊かになっていくのだと思います。

エチオピアの友人達と関わり合う中で、私たちは国や経済状況に関わらず「互いに学び合う」ことができる存在、「助け合うべき存在」なのだと確信しました。それは何よりも大きな恵みでした。

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