12.苦難を乗り越えた、次世代の若者たち。

私が今回研修させてもらったエチオピアのNGOに来ることを選んだ一番の理由は、イエスの愛に生きたいと願った当時10代後半だった若者たちが、自国の問題に目を留め、そこに手を差し伸べようと犠牲を払い、小さな愛の種を蒔き続けていることに感動したこと、さらにその蒔かれた種が、次の世代の成長という豊かな実を結んでいること知ったからでした。そのロールモデルから、神様の計画がどのように人を用いて成されていくのかを学びたいと思ったのです。実際私の想像をはるかに超えた素晴らしい働きが成されていました。特に成長した次世代(10代後半から20代前半の若者たち)と関わることができたことは、私のそれまでの常識や価値観、生き方が変えられる大きな経験でした。

初めは彼らが元ストリートチルドレンだったということが信じられませんでした。とても明るくてひょうきんで、社交的で親切という印象で、若手スタッフもしくは住み込みで子供たちをサポートしている学生ボランティアの人々だとばかり思っていました。数週間してから彼らもこの施設で育ったということを本人たちが打ち明けてくれた時は、正直衝撃を受けました。それと同時に、知らない間に一番関わりたいと思っていた次世代の若者達と、すでに接していたことを知って嬉しかったのを覚えています。

 

彼らの主を信頼し愛する心にはいつも驚かされました。神を愛し、人を愛することが日常となり、兄弟同士でいつも教え合い、助け合い、物を共有し合っています。その姿から互いに愛し合っていることが良く分かりました。互いのことを嫌な部分も含めてよく知っているのです。そして本人がいないところでも、兄弟たちの良い部分を誇らしく話し、誉めていました。その姿に麗しさを感じました。物や娯楽が少なくできることが限られていることが逆に、主との関係を強め、彼らの関係をより強めているように見えました。よく皆で集まって賛美や祈りをしていました。誰かが賛美を歌い始めると、自然とみんなが集まって歌いだすのです。ボールをけり始めれば、みんなが集まってきてサッカーが始まります。誰かが話をし始めると、気が付くと輪になって笑いながら話しています。誰が誘うわけでもなく、やろうと声を掛けるわけでもないのですが、誰かが何かをし始めるといつでもそこに人が集まり始めるのです。そんな空間が私にはとても素敵に思えました。

 

大学生たちは年下の子たちの面倒をよくみていて本当の兄弟のように接しているし、下の子たちも上の兄弟が大好きで慕っているのが見ていてよく分かります。映画のDVDが欲しいといえばみんなで楽しむことを条件に買ってあげ、悪いことをすれば叱り、良い部分は誉め、嬉しいことがあれば抱きしめて一緒に喜ぶのです。時々どこかに連れて行ってあげることも、病院に同行してあげることもあります。(下の子たちに掃除や洗濯、お使いをさせるなど、こき使うこともあったりするが、それがまた本当の兄弟っぽいのです。)何もしなくても愛の言葉をかけたり抱きしめたりすることもあって、あなたは大切な兄弟だ、と伝えていました。彼ら自身も上のお兄さんやスタッフたちからそうされて育ったのだと思います。次の世代が良いものを引き継いでいます。共同体で教え助けられながら育ち、支え合うことや愛を知る。孤独社会と呼ばれる現代の日本には殆ど見られない光景かもしれません。しかしこのような人との関わり合いの中で生かされていることを知る事こそ、大切な事なのだと思います。

一緒に育った兄弟たち

 

私も彼らには何度も助けられました。エチオピア社会や文化に適応することに疲れついて行けなくなり一人で悩んでいた時、その様子を察した友人達が悩みを聞き、解決の道を探してくれました。それが彼らにとっては耳の痛い話だったとしても、私の本心をしっかりと受け止め「君の問題は自分の問題でもある」と面倒くさがらずに、話をすることから逃げないで向き合ってくれました。

なぜ彼らにはそれができるのかと不思議で仕方なく、色んな人に聞いたことがありました。エチオピア人はもともと人を助ける文化を持ち、困った人を見ると放っては置けず、それがおせっかいであるかどうかは気にしないそうです。とにかく手を差し伸べるのです。それに加え、NGOの施設で育った若者たちは過去に過酷な経験をしているがゆえ、人の痛みや心の変化に敏感で優しい心を持っていること、助けられた経験と喜びを知っているから自分も人を助けたいという気持ちが強いのだと分かりました。

 

子供たちの誕生日会。一年前はストリートで1人誕生日を過ごしましたがこれからは家族と一緒です。

そして、苦難を乗り越えてなお生きてくることができた彼らは、自分が自分の力でなく神様によって生かされていることを体験的に知っていたのです。神をいつもその目で見上げ賛美しているのです。

彼らはみな夢を持っていました。その夢の先には自分を愛して下さっている神様と、自分以外の他者の存在がありました。エチオピアで自分が学びたいと思ったことを自由に学び、就きたいと思う職業につくことはとても難しいことですし彼らもそれを良く分かっています。けれども夢を持ち続けるのです。そしてどんな職業であっても「働くことで主にお仕えする、貧しい人を助ける、世界に福音を伝える」という生き方が、彼らにとって当たり前に心に根付いていました。そのために自分は勉強できる環境が与えられているのだと、学生であることを喜びとしていました。

 

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