7.外国人としてできること。

私が外国人で、自分たちのようなストリートチルドレンを助けたいと思ってエチオピアに来ているのを彼らは勘付いて、何か良いサポートが受けられるのではないかという思惑を持って友達になろうとする人、自分をアピールして「お金を集めてほしい、学校に行かせてほしい」と直接的に言ってくる人も大人子供問わずいます。

そのようなことに直面するたび、なぜ私はこの国に来たのかに立ち返り、では外国人である私ができることは何なのか、支援するとはどういうことなのかを考えさせられました。この国では自分は外国人でそのような目で見られているのです。現地の人たちのように行動することはほぼ無理です。

友達になりたいと思っても、彼らの目的がそうでなかったことを知ることもしばしば。さすがにとても傷つきます。壁を感じて後ろ向きな思考に陥ることもありました。エチオピア人を疑いの目で見るようになったこともありましたが、状況や彼らがそのような心をもたざるを得ない環境を知る中で、私は彼らとどう関わっていくべきなのかを祈り考えるきっかけとなりました。

この日は自立支援プログラムに通い始めた人たちに労働用のユニフォームが配られました。

ストリート生活者たちの多くが人生を変えたいと思っています。今の生活を抜け出して、勉強したり働いたりしながら安心できる家で生活したいと願っているのだが、社会的状況や経歴が邪魔をします。中には病気を抱えている人もいます。足が不自由だったり、事故で失っていたりする人も珍しくありません。怪我や病気で仕事が出来なくなってしまった時の受け皿がエチオピアには無いのです。

かつて軍隊でパイロットをしていたものの脳と精神の病に侵され入院をし、仕事を続けることは困難と危険を伴うと判断され辞めざるをえず、ストリート生活となってしまったという人に出会いました。幸いにも、彼の病気は完治し、ストリートで教科書を開いて勉強をしているところを目撃した外国人によってNGOに紹介され、自立支援のプログラムに参加できることになりました。

ある日街を歩いていると私の名前を呼ぶ声が。振り返ってみるとその人でした。私が歩いていた場所は長年彼が生活の拠点として寝泊まりをしているストリートでした。路上でお茶売りをしている彼の仲間からお茶とドーナッツを買ってごちそうしてくれて、路上で一緒に食べながら話をしました。他の仲間たちも紹介してくれました。大学進学を目指して勉強中の彼は、ようやく踏み出すことができた未来への新しい一歩の喜びと、将来の夢を語ってくれました。過酷な人生を歩み、住む家もなく、洋服も一着しか持たず、しかし彼の周りにはいつも仲間がいて、大きな夢があります。そんな彼が豊かな人に見えました。

 

彼が生活している場所は多くのストリート生活者が拠点としている場所で、かつてここに住んでいたという人を私も知っていました。あんな過酷なストリート生活にはもう戻りたくない、トラウマを抱え、思い出すだけで恐怖を感じると、自分の過去を語ることができない人もいます。寒さ、空腹に耐える日々、夜寝ていると警官に突然殴られその場を退かなければならないことも度々あったといいます。エチオピアは、日中と朝晩の気温差が10度以上、特に雨期は気温が10度以下になる日もあります。服を持ち合わせておらず、薄着で生活する彼らにとってかなり寒く過酷な状況です。

突然降り出す雨をしのぐのも一苦労ですし、もし身体が濡れて一度風邪を患うとなかなか治りません。雨期には、風邪をこじらせている路上生活者がたくさんいました。

そのようなストリート生活者に手を差し伸べるためにアウトリーチに参加している若者たちは、この国からストリート生活者がいなくなるビジョンを思い描き人々に仕えています。彼らの多くは元ストリートチルドレン、3年以上路上生活をしていた人もいます。同じ過酷な状況を通ってきた彼らからにじみ出る優しさと愛はとても深く、人の心に寄り添ってとことん向き合おうとする強さを持ち合わせていました。自己憐憫に陥ったりすることなく、イエスによって救われた命への感謝と神様に愛されていることへの喜びに溢れています。神様を「天のお父さま」と呼びかけ、大好きで仕方ないという思いがいつも言動に表れていました。

シェルターハウスで暮らし始めて約1か月の12歳の子。

仕えることは喜びばかりではなく、むしろ大変な事ばかりです。嫌なことを言われ落ち込んでいる姿や口論になっている姿も度々見かけました。自立支援のプログラムに参加し始めていたのに来なくなってストリート生活に戻ってしまった人に、また同じ場所で会うこともあります。手を差し伸べても、すべての人がそれを喜んでくれるわけではありませんでした。

それでも彼らは働きを続けています。活動をしている時以外でも、貧しい人に手を差し伸べているのです。それは、お金をくれと言ってきた子連れの女性に持っていた最後のお金を渡すことであったり、昔の友人が訪ねてきたときに服やお金を貸したりあげたりすることだったり様々です。彼らは今も金銭的な余裕はありません。しかし、お小遣いをもらった日に、怪我をして苦しんでいたストリートチルドレンを見つけたので、持っていたお金を使って病院へ運び介抱したという人もいるのです。

中学生から大学で学ぶ若者まで、彼らが将来の夢を語る時には必ず自分以外の「他者」が存在していました。

「誰かを助けたいからこの職業につく、将来はこんなことをしたい」という、職業は人に仕えるための手段であるということ、その先にある具体的なイメージを持っていました。また、エチオピアでは国の経済状況を理由に外国に出て働いて裕福になる事を目指す人が多い中、彼らは自分の国をとても愛すがゆえにエチオピアで働くことを望んでいました。世界中にイエスの福音を伝えること、エチオピアの貧しい人たちを助ける生き方をしたいと強く願っていました。人を助けるということは、彼らの人生の一部や一時的なものなのではなく、人生そのものなのだと思いました。

20代前半の仕える若者達。

彼らを通して、仕える側に与えられる祝福や仕えた時に変えられていく姿を何度も見てきました。彼らだって完璧ではありません。毎週のようにアウトリーチをしている彼らは、いつもやる気に溢れ、熱意に燃えているわけでもありません。正直、行く前は面倒だと感じたり、気分がのらなかったり、嫌な経験を引きずっていたり、友人と喧嘩した後で不機嫌だったり怒っていたりすることもありました。一人だけでなく数人が同じように沈んだ状態で、出発するとき険悪な雰囲気が流れている時もあり、そんな日は「もう今日はやめた方が良いのでは‥?」と心配するほどでした。

しかしいつも私の心配をよそに、ストリートから戻ってきた時の彼らは喜びに溢れ、輝いていていました。抱えていた嫌な気持ちも忘れられるほど「自分以外の他者に目を留める」働きは人の心に大きな影響を及ぼすのだと思いました。人は自分の事ばかり考えていたら成長しないのかもしれません。帰路に就く車の中は賛美の歌が溢れ、とても麗しい時間でした。

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