「与え、仕える」これからの生き方。

滞在期間中は、これからの生き方について祈り求めていました。

そんな中で、主は僅かなものから、信仰により私たちが「与える」ことを望んでおられるということを教えられました。自分のすべてを主に捧げる覚悟、いのちを失う準備をしているのか、そう問われているようでした。

【イエスは彼らに言われた。「あなたがたで、何か食べる物をあげなさい。」

イエスはみなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て日々自分の十字架を負い、そして私についてきなさい。自分のいのちを救おうと思うものはそれを失い、私のために自分のいのちを失うものはそれを救うのです」(ルカ9-10)】

新しい仕事を得るために、料理教室で一生懸命勉強する女の子たちと。

イエスが模範を示された、しもべとして仕える生き方こそが私たちの生き方であるのだということを語られてきました。「わたしはこれからどこへ行き、誰のために生きるのか、何をするべきか」を日々祈り求める中で、それは状況が変わっても変わることのない、「仕える生き方、与える生き方」であるべきだということを教えられました。

 

ヨハネ11章からも、マリヤが高価な香油と自分の髪を用いてイエスの足をぬぐい、自分の持ち物や自身すべてでイエスに愛を捧げ、イエスがされたように足を洗う(ぬぐう)仕える姿から、「自分のすべてをささげ主について行くこと、それを行動として表していくこと」を受け取ることができます。【マリヤは、非常に高価な純粋なナルドの香油三百グラムをとって、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。(ヨハネ12:3)】

 

そしてイエスが、価値が低く弱いとされていた雌の子ロバを選んで乗られた箇所から次の2つのことを教えられました。

一つ目は、イエスは無力なものをあえて選び用いて下さること。これは、自分の無力さを感じ落ち込むことも多かった私に対する励みとなりました。

二つ目は、彼のへりくだった生き方のように生きること、私もイエスを信じる者として、彼のように最も小さいものを尊んで低い所へと下る生き方をすることを教えられました。【恐れるなシオンの娘。見よ。あなたの主が来られる。ロバの子に乗って】

【シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたの所に来られる。この方は正しい方で救いを賜り、柔和でロバに乗られる。それも雌ロバの子の子ロバに。(ゼカリヤ9:9)】

 

そして、一粒の麦が地に落ちて死ねば豊かな実を結ぶことと、イエスがわたしのいる所にわたしに仕える者もいるべきですとおっしゃったように、仕える人(仕えたい人)がいる所へ行き、その命を失い、主がおられる所へついていきたい、そう願うようになりました。【一粒の麦がもし地に落ちて死ななければそれは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎むものはそれを保って永遠のいのちに至るのです。

わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に私に仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら父はその人に報いてくださいます。ヨハネ11:24-26】

元売春婦だった女の子たちのためのプログラムに参加。新しい生き方を得て輝いています。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください