「自分のため」から「他人の幸せを大切にする」へ。

初めの1か月間は自分の守りのための祈りばかりをしていたのを覚えています。しかし2ヶ月ほど経った頃に「この国の人を愛していけるように、知っていけるように」という祈りが自然と心から沸いてきました。それと同時に、それまでの私の心が「自分のために良い経験を得る」ことへ向いていたことに気付きました。

この頃から主は、イエスの模範に習い、「他人の必要を自分の必要以上に大切にする、他人の価値を見いだす」「他人の幸福を大切にするなら、自分の心に喜びがわく」ことについて聖書を通して語られ始め「誰でもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て日々自分の十字架を負い、そしてわたしについてきなさい。自分の命を救おうとする者はそれを失い、わたしのために自分の命を失うものはそれを救うのです。(ルカ9;23-24)」というみことばとともに、今私が遣わされている場所であるエチオピアを愛すること、自分を捧げる、いのちを失いイエスについていく、そのための覚悟を整える訓練を始められたように思います。

イベントに来てくれたストリートチルドレンのひとり。その目がとても美しくて思わずカメラを向けました。

ご自身の命を与えてくださったイエス様にただただしがみ付き、その生き方に倣いたいと願って、私はエチオピアに遣わされて来たのです。していることは自分が今までに経験したことのないこと、不得意な事ばかりでしたが、そのような状況が与えられていることは大きな恵みでした。神が人を創られた時に意図しておられたのは、「他の人に対する奉仕の人生」で、それが成されるために必要なのは、自分の得意外や未経験分野であっても、働きを忠実に担うことなのではないかと思います。【人の子がきたのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また多くの人のための贖いの代価として自分の命を与えるためなのです。(マルコ10:45)】

路上生活をする人々を招いたイベントにて。ゲームをしてみんなで盛りあがりました。

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