土の器の中に輝く、最高の宝物。

自分の弱さや欠けを知り受け入れ始めるうちに、神は土の器である私の内に最高の宝「キリストの御顔にある神の栄光を知る知識」を与え豊かに輝かせて下さっていることを知らされていきました。

自身の弱さに向き合わざるを得ない経験を何度も通りました。
特にエチオピアに来た当初は周りの外国人ボランティアと自分を比較し、語学が未熟ですぐにできる特技や技術が見つからず、自分は何も持っていない、できることは何もないという劣等感を抱いてしまいました。

それは、自分が何かをしてやろう、自分にはできるという高慢さの裏返しでもあり、反対に、できることが必ず与えられているという恵みを信じ切れていない弱さでもありました。日々の祈りと経験の中で、すべてが自分の思い通りに満たされないことで知る恵み(欠けという名の恵み)があること、私が弱いからこそ主の力が豊かに働かれるということと、主の栄光を現すために必ずできることが与えられているということを、みことばを通して何度も語られました。

【主は、「私の恵みはあなたに十分である。というのは私の力は弱さの内に完全に表れるからである。」と言われたのです。ですから私は、キリストの力が私を覆うために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら私が弱いときこそ、私は強い」からです。(Ⅱコリント1:9-10)】

【わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。わたしたち自身はイエスのために、あなたがたに仕えるしもべなのです。(Ⅱコリント4:5)】

スタッフやシェルターハウスのこどもたち

 

主はありのままの私を認め、すべてが整っていない状態でエチオピアに召し出された、そしてそのことを喜んで下さっている。そのことを感謝し、主に焦点を当てていくこと。
イエスは、未熟な私を愛してこの地に召し出してくださったのだということを、日々の祈りの中で語られました。
私は、自分自身ではなく、イエスを宣べ伝え、イエスに仕えるため、人々に仕えるしもべであること、そして、弱いからこそ、神が私たちの心を照らしており、土の器である私の内に、輝く宝「キリストの御顔にある神の栄光を知る知識」が豊かに輝くことを知る喜びに溢れ、強められていくのです。

それが分かり、自分を誇ろうとする高ぶりを手放した時、弱さを喜べるようになっていきました。
私はわたし、これでいいのだと、今の自分を喜べるようになりました。

誰もが神の最高傑作の一人として、人に仕えるために「自分にできること」が与えられているのです。

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