自分の常識にとらわれないこと。

文化の壁に何度もぶつかり、異文化を受け入れることの難しさを知る中で、知らなかったものの見方や考え方を知りました。常識とは人や国が自分たちで作り上げた相対的なものであって、私は日本人としての生き方から得た、ものの考え方や見方をしていたのです。これらが決して「絶対的なもの」でないことを知ることは、人を尊重し、謙遜に生きていくうえで大切なことだと学びました。

しかしそのことに気付いて、自分の基準を一度横に置いてみると、何を選び取るべきなのかが見えなくなります。そんな時わたしはいつも聖書に立ち返りました。その度に神様は、みことばをもって語りかけ、道を示し、わたしの心に変化を与えてくれました。絶対的な存在は神しかいなく、その真理は聖書にしかないのだということを体感的に学んでいきました。
これまでの価値観を抜け出すことは労力を伴いますが、同時に自分の乏しさを知り寛容さを得る恵みでもあります。

物の貸し借りでこのようなことを経験させられました。自分の物と人の物をはっきりと区別する日本人と異なり、彼らは勝手に借りて返さないこともあるので嫌な思いを抱いていたのです。しかし彼らは、物を共有する文化を持ち、自分だけで独り占めしないという考えを持っていました。物が少ないエチオピアでは、貸し借りすることや助け合うのは当然の行動だったのです。

さまざまな経験をして彼らと意見を交えるたび、そこには私の常識とは異なる考え方と裏付けがあることを知っていきました。私の物事の捉え方は、日本という環境で生まれ育ち、そこに根付く文化や習慣によって形成されていたものであって、世界の人類すべてに共通する常識ではありませんでした。

 

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